1907年にアメリカ人になったつもりで書き込むスレのまとめ

【1907年のアメリカ人になったつもりで書き込むスレ★ [408277373]】
みんなの反応
男尊女卑イメージの強い韓国ですが、その反動からか女性運動が割と盛ん https://pds.exblog.jp/pds/1/201603/06/85/b0355085_17482794.jpg
上の図から明らかなとおり、女性の会社進出が進んだこの間、韓国の出生率はガタ下がりしているのです。 https://pds.exblog.jp/pds/1/201603/06/85/b0355085_17491422.png
また自殺率も上昇しています。 https://pds.exblog.jp/pds/1/201603/06/85/b0355085_17501842.png
兵役で就職は遅れるわ、アファーマティブアクションで女性に職を奪われるわ、結婚でないわ、自殺に追い込まれるは 散々な韓国人男性……が、映画「オールドボーイ」や「殺人の追憶」を見れば分かるとおり、世界一執念深い彼らがこのまま黙っているわけがありません。
この女性優遇の裏返し、男性不遇の現状に業を煮やし、立ち上がった男たちがいました。 https://pds.exblog.jp/pds/1/201603/06/85/b0355085_17510057.jpg
男性連帯です。男性連帯は、08年1月、反男性差別、反アファーマティブアクションを掲げて結成され、ソン・ジェギという人権活動家が代表に就きました。
・兵役を終えた男性に公務員試験などで加算点を与える軍加算点制度復活運動(結局、女性団体の反発に遭って実現せず)
・映画「きみはペット」の内容が男性を侮辱しているとして上映中止の仮処分を申請(裁判所により却下)
・ペク・ジヨンという女性歌手の「Good Boy」という曲の歌詞の内容が男性を侮辱しているとして流通禁止の仮処分を申請するなどの男性差別的な表現活動に対する抗議運動、
・女性家族部が女性活動の巣窟になっていて、男性のための政策を実行したことがないとしてその名称を使用禁止にする仮処分を申請(裁判所により却下)
・世界唯一の女性だけの図書館と謳う堤川女性図書館に対する抗議運動
・女性家族部が発議した16歳未満に午前0時から午前6時までオンラインゲームを全面禁止するゲームシャットダウン制度反対運動
・日本の児童ポルノ法に相当する児童・青少年の性保護に関する法律の反対・改正運動
・公共交通機関の女性専用車反対運動
・男性の育児休暇や専業主夫を社会的に認知させる運動
・強姦冤罪被害者男性の救済、父子家庭の支援などの活動を行いました。
また代表のソン・ジェギは、恋愛や結婚の相手がいない韓国人男性のための国際結婚事業をやっていたそうです。
そのソン・ジェギは、13年7月26日、ツイッターで「男性連帯の借金解決のために1億ウォンだけ借してほしい。 26日、漢江から投身する」と予告した後、韓国放送公社(KBS)のカメラクルーが見守る中、「男性も人間である!」と叫びながら、麻浦大橋から漢江へ身を投げ、三日後、遺体となって発見されました。45歳でした。
その後、団体はキム・ドングンという20代の青年が代表に就き、14年には男性だけが兵役を課せられるのは不公平だとして女性に兵役税を課すべきと憲法裁判所に訴えました。
なんでも韓国では、兵役があるせいで女性に比べて2年遅れて社会に出るために就職に不利という不満が男性の間で渦巻いているそうです。
が、結局、この申請も却下されました。
が、ソン・ジェギ死すとも、その魂は死せずーー彼の魂は日本海の荒波を越え、この日本列島に渡ったのです。
当時は 資本家が政府を脅かし恫喝するまでになっていた。1880年代のアメリカにおける当時の投資銀行は、証券引受けを個人銀行が行っていた。JPモルガン、クーン・ローブ、シュパイヤー、などいたがそれらより巨大な、セリグマン、キダー・ピーボディ(現UBS)など現代の錚々たる顔ぶれが、銀行資本の系列化の為に競争した、株式相場が荒れて経済を狂わせた上に、この農業不作と同時に、1893年恐慌で資金を引き上げてしまう。そこで資金がない為アメリカの 金融機関の経営統合が進んだ。この中で活躍したのが、三大生保である。持っていた保有契約と総資産の両面にわたり顕著にシェアを拡大し(1900年、両面で五割に迫る)。ミューチュアル生命(現アクサ)、エクイタブリ生活(現欧州アクサ)、ニューヨーク生命(モルガン系)であった。生保では、こうした投資の銀行株を保有することで、商業銀行と信託銀行を系列化して巨大マーケットを、食糧も石油も運輸も自動車産業を含めた産業労働者を住宅や生活物資と共に支配していくのだった。生保は証券引受に直接介入するだけの独占体制を確立し株価は乱高下する。もともと三大生保は先に列挙した個人銀行家と一緒に鉄道債を引受ける力がある巨大財閥だった。こうして、州が企業に取り込まれ、1905年8月1日、アメリカ上院議員アームストロングが委員長となり「生命保険会社の経営活動」を調査する様任命された。この委員会は9月6日〜12月31日にかけ、関係者を召還し公聴会を含む57回の会合を開いて内容を精査した。10巻にまとめられた報告・勧告書は、おおよそ次のようなものである。粗末なコーポレート・ガバナンス(企業倫理)は比較的論点とはならず。事業費が濫費されたことが指摘され、一因として据え置き配当積立金が槍玉にあがり、この系統化の全廃まで勧告する。コンツェルン化にともなう創業者利得が焦点となり、保険の株式投資の、全面禁止と、保有株式の処分、証券引受活動の禁止、自由な証券売却を妨げる協定の禁止などが提言された。
1907年恐慌は、一次大戦前のアメリカ最大の恐慌とされた。アメリカの金融危機に及んだ最初の恐慌だった。確かに、アメリカでの恐慌は1929年の暗黒の木曜日が、あまりにも有名である。しかし、第一次大戦までは、1907年恐慌こそがアメリカ史上で最悪の金融恐慌だったのだ。1865年に南北戦争が終結し、アメリカは急激に発展していっていた。鉄道や電信電話の新技術により人々の生活は劇的に変化して、経済成長率は7%にも達し、自動車産業が花開く。1900年に入り、さらに新しい技術の黎明期に入り自動車と共に石油掘削も進化していく。1900年代初め、揺籃期の自動車産業には、参入障壁などはほとんどなかった。大規模な製造会社でなく、部品の組み立て工場にすぎず、設立に大した資本は必要なかった。 そのため、1900年〜1908年にかけ、500社もの自動車会社が市場にひしめいていた。自動車の出現により、モータリゼーションという『新時代』が幕を開く。そうして投資家の期待は、「終わりなき成長」という野放図な楽観論へと突き進んで幻想に酔いしれた。『自動車産業の成長には中断がなく一直線に拡大する。このことは確実である。』、多くの投資家はこの主張に同意した。便利さは人の欲望で末永く続くというありきたりの論理を重視したのだ。下振れリスクを知りつつも無視し、楽観論に支配され、自動車企業の創出というだけで、赤字企業にも法外な資金が流入し、株価は高騰した。日本のITバブル期の様なものだ。山一証券の様に『今回は違う』、誰もがそのように確信したバブル決算である。或いは東芝の原発投入みたいなものだ。しかし、その酔いは突然終焉を迎え、株式暴落に陥る。1906年4月 サンフランシスコで大地震が発生。地震によりガスのパイプラインが破損。そこから漏れ出たガスは、瞬く間に引火してサンフランシスコの半分が灰燼と化したのである。
まとめ
このスレッドでは、1907年の様々な社会現象や歴史的背景をアメリカ人の視点で語り合っています。面白いレスが多く、時代背景とともにユーモアを交えた議論が展開されています。この流れから当時のアメリカの空気感を感じ取ることができ、今見ると興味深い内容ばかりです。
引用元:2ch.sc












ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません